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平成25年度 校長談話校長談話履歴Principal Statement

解剖学

看護学生は入学式が終わると間もなく、解剖生理学の授業が始まります。
解剖学というと、はらわたが飛び出したり、心臓を切り刻んだりと、おぞましい学問のように思えますが、大半の看護学校では、看護学生が実際の解剖を見学することはありませんし、ましてや死体を解剖するなんてことはありません。正常な人間の身体の構造を知る学問だと言い直せば、恐ろしさは消えていきます。
例えば心臓は、左心房、左心室、右心房、右心室の4つの部屋があり心房と心室が房室弁という弁でしきられているとか、右心室から肺動脈が、左心室から大動脈が出て、その間にそれぞれ弁がある。ということを教えていきます。どうですか、ここまで読んだだけでも嫌になってくるでしょう?もちろん看護師は身体の構造を知っておかなければいけないことを納得できても、これではもう5月くらいから授業中に寝てしまいそうですね。
先ほど解剖生理学と書いたように、単調な解剖学に化学調味料のように味付けするのが生理学です。例えば、先ほどの心臓で言えば、どうして心臓が自動的に動くのか、なぜ好きな人の前では脈拍が多くなるのかなどを解き明かしていきます。死んでいる(?)解剖学に生命を吹き込むわけです。
基礎医学3科目といって、これにもうひとつ生化学が加わってきますが、高校時代に化学を履修していないとこの生化学には随分悩まされるそうです。しかも、生化学は高校時代になんとかついていけた金属だとか、硫酸や苛性ソーダのような無機化学ではなく、いきなり有機化学に入るので厄介です。
その点、解剖学や生理学は高校時代に必ずしも生物を履修していなくても、すんなり入っていけるので、身体のことはよくマスコミでとりあげているからでしょうか。この続きは次回に。


平成25年5月 知多市立看護専門学校
校長 早 川 英 男

病理学など

 
さて、前回は看護師になるためには、解剖学と生理学を勉強するんだと話しましたね。この解剖生理学はあくまでも、正常な、病気でない人の話です。理科の一分野と考えていいわけです。正常な人の話ばかりですと、そのうち学生が興味を失っていくので、私は正常を教える解剖生理学で病気の話も交えます。
前回の心臓の話ですと、房室弁が病気になるといわゆる心臓弁膜症になって心臓が肥大してきて手術が必要になるんですよ……、などと。でも本来は解剖生理学は正常な人について学ぶのです。
そこで次に勉強するのが病理学です。これらいろいろな臓器がどんな病気になっていくのか、例えば肝臓ではウィルスで炎症を起こすのも病気なら、肝臓に癌ができるのもまた別の病気です。生まれつき胆汁がうまく排泄できない先天性の病気もあります。解剖学や生理学で学んだ臓器が病気になっていく様子をを学ぶのです。だから肝臓について言えば、正常と病気という形で二度勉強するわけです。
ところが、ここで終わりというわけにはいきません。ここまででは、病気としてはわかっても、どのように診断され治療されていくのかがわからないからです。そこでさらに「疾病の理解」という授業があって三回目の肝臓の講義があるのです。医者になるのならここまでいいわけですが、(もちろん医師の場合はとことん細かいことを学んでいくので授業時間は非常に多いのですが)看護師になるにはさらに成人看護学などといって肝臓の病気をもった人をどのように看護していくかという講義が始まるのです。
これで一つの臓器を四回学ぶわけですね。さらに、いままでの勉強では机上の勉強ですので、今度は実際の患者さんを前にして看護の実際をさせていただくわけです。いわゆる臨床実地実習です。こんなふうに何度も何度も勉強して看護師になっていくわけです。ずいぶん大変ですね。


平成25年7月 知多市立看護専門学校
校長 早 川 英 男

夏のオリオン座

私は60台半ばの老人ですが、これでも若いころはあったわけで、45年ほど前、昭和40年代に、東京で大学生をしていました。
そのころの夏休みは、大学生でも小学生と同じ7月下旬から8月31日までで、7月下旬になると喜び勇んで重い教科書をかばんに詰め、しっかり勉強するんだと知多市の実家へ帰省しました。
小学生のころは、夏休みは無限の長さに感じられたのですが、大学生ともなると夏休みにも限りがあることがわかっています。高校野球の決勝戦が近づいてくるとそろそろ夏休みも終わりです。時間はたっぷりあると思っていたのですが、勉強もはかどらず、さらには生活が徐々に夜型に変わっていきます。
夏休みもそろそろ終わりの8月27、28日ごろは、また東京へ戻って、一人のさみしい生活に戻るのかと思うとうんざりです。しかも夜はあまり眠られません。ラジオの深夜放送に慰められ、明け方近くまで起きているわけです。そんな日の午前4時ごろ、ベランダに出て、空を見上げたのです。夏休みの始まったころは、午前4時はもう明け方で明るくなり始めていたのですが、8月末ともなれば空は夜空です。そんな時ふと東の空を見たのです。何とオリオン座が東の空に昇っています。オリオン座というのは冬の代表的な星座ですよ。打ちのめされてしまいました。20歳になったばかりの私に、もう冬が密かに迫ってきているのです。
人生って長いようで短いのです。看護を学ぼうとしているあなたたちにも、もうオリオン座が顔を出しているのですよ。


平成25年8月 知多市立看護専門学校
校長 早 川 英 男

和顔愛語

「和顔愛語」と書いて、「わげんあいご」と読みます。「大無量寿経」というお経に書いてあるとのことです。もちろん私はこのお経を読んだことはありません。この言葉は看護師を目指している人だけでなく、いい人間になりたい人はじっくり味わってみたい言葉です。意味としては、「やさしい顔つきをし、やさしい言葉をかける」ということのようです。看護師だけでなく、人間としても善人のような気がします。
しかし、ここでよーく考えてください。看護師で、やさしい顔をする人はたくさんいます。しかし、その大部分は「私は患者さんを看護してあげるんだ」(一見謙譲語のようですがそうではありません;犬にエサをあげると同じ使い方です。)と上から目線の看護師さんが随分いるように思えます。そのようなやさしい顔でなく、心底やさしい顔でなければなりません。みなさんたちも初対面の人を考えてみてください。何かこの人は苦手だなと思える人がほとんどでしょう?初対面なのに、なぜかこの人は『楽勝』だと思えるひとがたまにいるでしょう?この『楽勝』の人が「和顔」のひとなのです。こちらがどんなことを言おうと、しようと、困った顔はするものの、結果としてまかせておける、いやな顔ひとつしないそんな顔の人です。
次に「愛語」です。最近は、教育のせいとは思いますが、自分の考えを積極的に主張する人が誉めたたえられます。看護の世界でも「アサーティブ」な看護といって、正しいと思ったらとことんそれを主張する看護態度がもてはやされています。だから、その態度で患者さんを教育指導しようとするのです。あなたたちでも、身体をこわした時に母親から、日ごろの生活態度が悪いとか、好き嫌いで食べたりするからなどと言われたら嫌でしょう?それよりも「おなかが痛いの?大丈夫?」と言ってくれる母親の方がいいでしょう?これが「愛語」なのです。現代では何か一言風刺をしないといけないみたいに、有○××のような人がテレビで人気がでていますが、あなた方は決してあの人のまねをしないでほしいですね。 


平成25年10月 知多市立看護専門学校
校長 早 川 英 男

「天命」(1)

文筆家、五木寛之氏の作品に『天命』という作品があります。(文庫本で出ています)。その中の、“祈りと死”という項に、悪性の病気になって、毎晩病室から東京タワーを見ては泣いている若い女性の話があります。五木氏の文章をそのまま、書き写すと著作権のからみも出てくるでしょうから、ここからは私の脚色です。
この女性に、なぜ泣いているのかと尋ねたのです。「死ぬのが怖くないわけではないのですが、今こうして私が治療をうけて抗癌剤の副作用で苦しんでいる時に、あの東京タワーでは、恋人どうしで愛を語ったり、家族で楽しく食事をしたりしている。なぜ私だけが苦しまなければいけないのか、それが理不尽に思えるのです。」
さあ、あなたならこの女性に何と言ってあげますか。
これ以降は、ますます私のコメントです。
西洋の宗教なら、「これは神があなたに与えた試練だから、耐えなければいけないよ。」と言うでしょうね。私はこんなのはまっぴらごめんです。西洋の宗教は苦しめば苦しむほど神に愛されているという発想のようです。
東洋の宗教なら、「どんなに苦しんでいる人でも最後は阿弥陀様が極楽へ導いてくれますよ。」と言うでしょうね。でもこれも何かピントがずれていますね。どちらも宗教というのは健康人の発想のようです。
片や、科学(医学?医学は本当に科学なのだろうか?)万能主義の考えもありますね。
「今の医学を信じなさい。この苦しみに耐えれば、きっと病気もなおって、みんなと楽しく暮らせるようになりますよ。その日を信じてがんばりましょう。」これが本当ならば、今どきの通販のサプリメントをこまめに服用(おっと服用と書いてはいけない、服用は薬であって、あれは食品(健康?食品)だから)、もとい食べていれば、日本人の平均寿命はいつか百歳も超えて無限に長生きできるでしょうね。実は、抗癌剤だってその大半は副作用の方が多く、あまり有効なものはないようです。この医学万能主義は製薬会社の回しものかと疑ってしまいます。

さあ、この女性に何と言ってあげたらいいか、あるいはどうしてあげたらいいか、一度あなたなりに考えてみてはいかがでしょう。五木氏がどういう答えを出しているか、早く知りたければぜひ『天命』という本を買って読んで下さい。自分で考えてみるのもいいですよ。


平成25年12月 知多市立看護専門学校
校長 早 川 英 男

「天命」(2)

さて、前回の続きです。抗癌剤で嘔吐を繰り返しながら、なぜ自分だけが苦しまなければいけないかと、悲しんでいる状況です。
今の看護学では、こういった人の心のケア(私はこの“ケア”という語は好きではありません、なぜ心の看護と言えないのでしょうか)には、反復法といって患者さんの訴えたことを繰り返すことによって、患者さんの気持ちが落ち着くという方法もあるようです。
例えば、「看護婦さん、この抗癌剤の苦しみが耐えられないのです」といえば、「抗癌剤の苦しみが耐えられないのですね」と返し、「もう、自分の人生が終わってしまうということが非常に恐ろしいのです」と言えば、「自分の人生が終わってしまうということが怖いのですね」と繰り返すのだそうです。そうすれば患者さんとコミュニケーションがとりやすくなり、慰めにもなるというのです。今は看護理論も少しは進歩してこんな看護婦さんばかりとは思えないのですが、基本的には看護婦の立場(どういうふうに業務をこなすか)から語られてばかりいるような気がするのです。
このようなオウム返しでいいのなら、私は助からない病気になったら、すぐにでも鸚鵡(オウム)を一匹飼いますね。
ここまで述べてきたように、いわゆる終末期医療に対しては、科学も宗教も看護学もあまり役に立っているとは思えません。
それでは、五木さんはどう言っているのでしょう。
結論を言えば、その少女に向かっていう言葉など実はないのかもしれません。そして、何も言わず手を握りともに悲しみ、思わず涙をこぼす、そのことで少女がつかの間の安心が得られたとしたら、それは素晴らしいことだと言っています。
ぜひ、時間があったら、五木寛之著『天命』を読んでみてください。

さて、今回で早川校長の担当は終了します。一年間、私の駄文につきあってくださってありがとうございました。4月からは新しい校長がこのコーナーを引き継いでくれることになっていますのでご期待ください。わずかでも看護に興味を持ってくださってありがとうございました。


平成26年3月 知多市立看護専門学校
校長 早 川 英 男