新年度~はじまりのとき~
平成28年度が始まりました。卒業式が終わり、卒業生を見送った後、新年度の準備に追われ、職員の異動もあり…毎年のことではありますが、毎日があっという間に過ぎていく感じです。しかし、今日は4月1日、鶯の鳴き声を聞き、雨に濡れた桜の花を眺めながら、少し落ち着いて新年度のことを考えてみようと思いました。
新しいカリキュラムの2年目、そして校長として3年目、学校へ赴任して4年目ということを念頭に、平成28年度にどのような意味を持たせるのか?と考えてみました。今年は、「仕組みづくりの年」にしたいと思います。「仕組み」とは、「誰がいつ、何度やっても同じ成果が出せるシステム」*のことを言います。この3年間で様々なことに教職員・学生を巻き込み、取り組んできました。そのひとつひとつが学校の風土として根付き、新たな課題に対しても取り組んでいけるような仕組みづくりをしたいと思うのです。学生も教職員も、それぞれがもつ力を発揮できるような学校でありたいからです。
「課題解決の仕組みづくり」は簡単ではないと思います。しかし、その原動力となる課題発見力があることは当校の強みだと思っています。発見した課題を誰がどのように、誰と協働して解決の道を探っていくのか、というところの仕組みを創り、強化をしていけば良いのだと思います。ひとつずつ、課題に取り組みながら、「仕組み」を意識していくことで新たな課題に取り組んでいきたいと思います。
新年度、はじまりのときとして、新しい教職員、新入生を迎え、気持ちの良い風を感じながら、皆と一緒に頑張ろうと思います。
*引用 泉正人:「仕組み」仕事術,ディスカバー,p14,2016.
新入生対象春合宿
今年で3年目になる新入生を対象とした春合宿を4月15日、16日に行いました。今年も楽しかったです。この合宿の目的は、「3年間の学びを始める時期に、学生便覧を中心に学ぶ姿勢、具体的な学習方法を確認するとともに学ぶ仲間としてクラスメイトとの親交を深め、様々な課題に協力して取り組んでいくことのできるチーム力を高める」というものです。グループに分かれ、学生便覧の担当部分を熟読し、その内容を発表するということやコミュニケーションゲーム、コーディネーショントレーニングを取り入れたゲーム、模擬授業を受けてのノートの取り方や、資料のファイリング方法などを学習します。春合宿前に既に学生便覧については自己学習するように促しているため、事前テストを行い、その結果などからグループ分けを行いました。様々なゲームの得点やグループワークの得点で2日目の終了式には上位10名に表彰を行いました。
3年目となり、担当する教員は慣れてきたと感じますが、新入生はいつも緊張感いっぱいです。それが2日間、寝食を共にすることで変化するのです。アンケートの結果でも「行きたくないと思っていたけど、楽しかった」「今まで話せていない子とも話せてよかった」などの意見が多く聞かれました。ゲームをしている時の本当に楽しそうな笑顔やグループワークのときの真剣な表情は、素敵です。
また、昨年より始めた「マネジメント」の授業は、今年も私が担当しています。学生のときから目標管理を取り入れてみようと考え、グループワークをしながら、クラスの運営理念、3年間の目標、1年間の目標、そしてクラスの行動計画、個人目標、個人の行動計画を考えてもらっています。
今年の1年生のクラスの運営理念は次のように決まりました。
【2017年度第5回生クラス運営理念】
1.ひまわりのようにまっすぐ30人全員で卒業、国家試験合格という目標に向かって成長する。
2.個性を大切に、団結力を高める。
5回生のカラーが出た、良いクラス運営理念だと思います。この2日間の春合宿で、クラスの基盤となる「親交」が深まり、学生としての学習姿勢についても考えるきっかけになったと思います。ひまわりを見ると思い出す学年となるでしょう。
「看護師としての思い出~Part5~」
看護師としての思い出の中で今までにご紹介した4名の患者さんは、全て私が最初に勤務した病院で出会った方々でした。今回は、その後、学生時代にアルバイト先の病院で出会った患者さんとの思い出を紹介したいと思います。
私は、週に一度、土曜日に夜勤のアルバイトをしていました。夜勤での私の担当患者さんは、いつも10名程度でした。最初に10名の担当と言われたときに正直「楽そうだな」と思ったことを覚えています。しかし、現実は異なりました。その病院は全室個室であるためか、患者さん一人一人は、看護師が訪室するのを心待ちにされていました。ですから、一旦訪室するとなかなか退室できず、10名の患者さんを一回りするのに大変な時間がかかったのです。これは、大きな発見でした。つまり、それまで関わらせていただいていた大部屋の患者さんは、他の同室者の様子やそこに関わる看護師の動きを見聞きし、自分の言動を意識的あるいは無意識に抑制していたのではないかと気づいたのです。私は、それまで関わった患者さん達に我慢させてしまっていたのではないかと申し訳ない気持ちになりました。
そんなときに出会ったKさん。Kさんは、40代の男性で、数年前に胃がんの手術をされ、今回は肺への転移が認められ、呼吸困難と背中の痛みを訴えられていました。抗がん剤治療を続けられていましたが、全身状態は悪くなる一方でした。奥様がいつも病室にいらっしゃり、お二人がとても仲が良いことが印象に残っています。若いころに剣道をされたことがあり、私も学生時代に剣道をしていたことから、剣道の話題で盛り上がりました。他愛もない話をし、いつもいつも冗談を言い、「笑い」がコミュニケーションの中心にありました。痛みがひどいときには、背中のマッサージをし、いつものように他愛もない話をして笑いました。徐々に状態が悪化し、ある日、業務前の申し送りで「意識混濁がある」と聞きました。いつものように訪室すると、奥様が傍らに座り、背中をさすっていらっしゃいました。私が挨拶すると、うっすらと眼を開け、「お!吉永小百合がきたな!」と言ってニコッと笑ってくださったのです。私は笑いながら涙をこらえました。その数日後にKさんが亡くなったことを、病棟の方から伺いました。
看護師として何かできたのか、もっとできたことはあったに違いありません。しかし、私にしかできない関わりはできたと思っています。亡くなった後に奥様から「1週間に一度、あなたに会うのを楽しみにしていたのよ」と聞いたからです。私は、個室で過ごすKさん、そして奥様に「風」を送っていたように思います。「普通に接する」ということが、Kさんには大切な関わりであったと今でも思っています。
「教育に携わる立場の喜び」
5月の終わりから始めていた高校訪問が6月7日で終わりました。知多半島内の高校を中心に、在校生がいる名古屋市、西尾市の高校も含め、18校を訪問しました。訪問先では、進路指導担当の先生方とお話しし、在校生の様子を伝えたり、当校の概要や受験についての説明をさせていただいたりしました。進路指導の先生は、皆さん熱心で、看護を志望する生徒のことを一所懸命に考えていらっしゃることがわかりました。在校生の様子を伝えると、とても嬉しそうに聞いてくださり、その姿に「先生と呼ばれる存在のやりがい」を感じました。自分が関わった生徒が成長し、頑張っているということを見聞きすることは本当に嬉しく、教師という仕事をやっていてよかったと感じる瞬間なのだろうなと思いました。
そして、6月17日、当校では、昨年から始めた「里帰りデー」を行いました。就職先の病院に協力を依頼して勤務調整をしていただき、前年度の卒業生を母校に招く行事です。今回は、昨年度の卒業生で就職した25名が揃いました。自由に歓談し、ちょっとしたゲームを行い、その後に近況報告をしてもらいました。入職して2ヶ月が過ぎ、様々な思いを抱えながらも、「何とか頑張っています!」という言葉や笑顔に頼もしさを感じました。参加者からは、「自分だけじゃないと思えた」「久しぶりに皆に会えてほっとした」といった感想が聞かれました。参加した私自身も高校訪問で出会った先生方と同じように、卒業生の成長した姿を見聞きし、本当に嬉しく思いました。今はまだ新人看護師ですが、間違いなく、これからの看護を担っていく頼もしい存在になると思っています。
同時期に今年のオープンキャンパスの申し込みが始まりました。応募期間になって間もなく、定員に達しました。受け入れ可能人数が限られているため、今年もお断りしなくてはいけない事態になることは必至ですが、新しい可能性を秘めた高校生に出会えることを楽しみにしています。
「朝のおはよう!」
6月の中旬に行った1年生の教科外活動の花植え作業後、梅雨に入り、日に日に草が伸び、毎年のことですが、折角植えた花が見えなくなるほどになってしまいます。そこで、草取りが必要になるわけです。私は、健康のために随分前の卒業生が卒業記念に寄贈してくれたエアロバイクを朝、こぐことにしているのですが、最近は、その時間を草取りの時間にあてています。
教員がやらなくてもいいことだと言われたことも何度かあります。しかし、私は、朝のこの時間に私自身が草取りをする意味を見出しているのです。朝早くから、学生が登校する姿をみることができ、「おはよう!」と声をかけることができ、ちょっとした会話をすることができるのです。
私「いつも朝早いね。」
学生A「この時間しかバスがないんです」
私「なるほどね。でも、早く来るといろいろできるよね」…
私「昨日の技術試験はどうだった?」
学生B「皆、あんなに頑張って練習していたのに不合格が多くてびっくりしました」
私「技術は、手順を覚えることも大切かもしれないけど、どうしてそうするのか、やってはいけないこととその理由とか理解していないとね」
学生B「そうですね、順番通りにやることばかり必死だった」…
などなど。「今日も暑いね~」という会話から、いろいろと拡がるのです。
看護もそうだと思うのです。足を洗うことは誰でもできることかもしれない。しかし、足を洗いながら、足の観察をしたり、会話の中から思いを引き出したり、リラックスしていただけるように指圧をしたり…看護師が行うからこその「はたらき」があると思うのです。
なぜ、草取りをするのか?そこに草があるから…ではなく、様々な意図をもって朝の草取りをするということが私の楽しみです。草がなくなると花も元気になってきます。随分、きれいになってきました。今月行われるオープンキャンパスのときには、すっきりした花壇で来校者をお迎えできるように…と思っています。
「夏休み」
今年も夏休みが終わろうとしています。8月の1ヶ月間を振り返り、様々な出来事について、いくつか、振り返ってみようと思います。
◆8月2日に、看護協会の研究倫理についての研修にオブザーバーとして参加しました。午前の部、午後の部があり、私の出番は午後の部でした。この研修は、実際に研究倫理審査を実施している方、研究指導している方、看護管理者の方が対象でした。実際の研究計画書を審査してみるというグループワークを実施しました。皆さん、本当に熱心で、私自身が刺激を受けました。
◆8月4日は毎年恒例の愛知県看護教育研究会主催の研修に参加しました。「主体性を育む授業づくり~協同学習の基本と実際~」というテーマで久留米大学の安永悟先生の講演でした。実際に、受講者である私たち自身が体験し、協同による授業づくりが有効であることを実感しました。同じ時間を過ごすならば、皆で実りある時間にしよう!という心意気が根底に流れていることが大切だと思い、それを学生に伝えていくことが重要であると感じました。
◆8月6日はオープンキャンパス。93名の応募があり、抽選の結果、午前・午後各36名の方に来ていただくことになりました。体験型のオープンキャンパスで、参加された方から、とても高い評価をいただきました。夏休みで暑い日にも関わらず、笑顔いっぱいに協力してくれた在校生に感謝しています。
◆8月19日~20日に横浜で開催された日本看護管理学会に参加しました。久しぶりにお会いする大先輩に元気をいただき、夜は母体病院の看護局長さんと中華街でお食事し、とても楽しい時間を過ごすことができました。学会に参加して、新しい知識を得ることができ、看護の可能性を感じることもできたので、とてもワクワクしました。
◆夏休み中に教員会議を何度も行いました。看護過程の展開の教授内容を変更し、それに伴い記録物も見直そうと考えています。そのため、不足している知識を確認しながら、皆で学んでいます。事前に自己学習して会議に臨む…学生たちがグループワークをするときにも課していることです。教員全員が自己学習して臨んでいる姿は「さすが!」と思うものでした。今年度の大きな課題のひとつです。学生が戸惑わないように、皆で協力して、しっかりと地固めをしていきたいと思います。
9月になりました。3年生の実習も再開です。1年生、2年生も含め、また皆の元気な顔をみるのが楽しみです。
「国語寺子屋」
私が、当校に赴任して2年目より、朝の始業前の時間を利用して「国語寺子屋」を行っています。何をしているかというと文章を書く練習と話す練習です。
なぜ、このようなことを始めたかという経緯について、まずは説明します。約2年前、実習に出てみたら、なかなか文章が思うように書けない、患者さん、看護師さんとコミュニケーションをとることが苦手…ということが課題としてあがった学生がいました。何か、できることはないか?と考え、「国語寺子屋」(当初はこのような名称をつけていませんでした)を始めたのです。ひとつは、工藤順一先生の書籍(作文が書ける。みくに出版より発行されていましたが現在廃版)を活用しての作文と添削、もうひとつはテーマに沿った会話です。
作文は、漫画や絵、写真をみて、それを読み手に伝える文章を書く練習をしています。絵や写真を見なくてもどんな絵や写真なのかがわかるように書くのです。絵を解説するだけにとどまらず、その絵から何を伝えようとしているのかまで表現するのです。添削は、難しいですが、主語・述語のねじれや接続詞、助詞の使い方などの文法、絵や写真から自立した文章が書けているか、という視点で見ています。話せても書けない、書けても話せないということはよくあることです。書き言葉と話し言葉の違いを理解しつつ、書く力、話す力、両方をつけて欲しいと願っています。
話す練習は、「昨日あったことを相手に伝える」「卒業式や遠足など行事に行っていない人にその状況を伝える」「自分の部屋の間取りや家具の配置などを相手に伝える」といった内容で話してもらいます。その後に、その時の自分の思いや語ったことによる感想などを話してもらいます。
現在、3年生が2名参加してくれていますが、実習が続いているため、そのうちの1人が、先日久しぶりに朝、顔を出してくれました。「実習が楽しかった!」という表情は、とても明るく、聞いている私まで嬉しくなりました。書くこと、話すことくらいは…と思いがちですが、それが思うようにできなくて苦しむ学生も多くいます。力になれているのか、不安ではありますが、少なくても彼、彼女らが経験していることを言語化し、意味づけし、その思いを共有できるように…と思っています。
「看護師になろうという強い意思」
学校で働くようになって、勉強や実習でつまづいた学生に出会った時、「そもそも、あの子は看護師になろうという意思を持っているのだろうか?」という話をよく聞くようになりました。その言葉を聞くたびに、私自身の学生時代を振り返るのです。私は、正直、それほど強く看護師になりたいと思っていませんでした。そんな私が、臨床で4年間働き、更に進学した時には、学生時代の友人が驚いたことを覚えています。そして、その後も現在まで、病院、学校と働く場所は変われども、看護にずっと関わっているのです。それは、様々な出会いの中で、「看護を選んで良かった」と思う経験を積み重ねてきたからです。ですから、私は、学校での教員、講師、臨地実習指導者、受け持たせていただいた患者さんとそのご家族、クラスメイトや先輩との出会いなど、様々な出会いの中で、看護の「奥深さ」「楽しさ」「難しさ」を学生自身が実感し、「看護師への道」を地固めしていけるようにと考えています。
高校生の皆さんとお話をさせていただくときには、いつも「看護師になりたいという強い意思がなくても、私たち教員は、『看護って楽しい!』を伝える努力をするので大丈夫だと思う。しかし、他にやりたいことがある人はもう一度考え直した方がよいと思う」と話します。何故なら、看護師になるための勉強や実習は、とても大変だからです。くじけることなく、悩むことなく、学校生活を終える人は、稀だと思います。くじけたり、悩んだりした時に、「私は、本当は看護師になりたいわけではなく、○○の仕事をしたかったんだ」と思うと、つい逃げ出したくなるものです。ですから、他にやりたいことがある人は、もう一度考えてみてください。
私は、看護師になることを断念する学生に出会った時には、「看護の楽しさ」を伝えきれない力不足を痛感します。「看護の楽しさ」を伝え、看護師になりたいという意思を確固たるものにしていけるように、私たち教員は学生と共に努力し続ける必要があると折に触れ、感じる今日この頃です。
「ほんまもん」
当校では、毎年1回、全学年を対象とした全体講演会を実施しています。今年度は、福島県会津若松市の竹田綜合病院皮膚科科長であり福島県立医科大学臨床教授をされている岸本和裕先生に講演をしていただきました。1時間半という短い時間の中で、「ほんまもん」*になるためには、何をすべきか、どう生きるべきか、といったお話を先生ご自身の経験を交えながら、お話ししていただきました。まさに、「ことだま」とも言える、たくさんの言葉をいただきました。それは、これから看護師になろうとする学生にとっても、既に看護師となり教員として働いている私たちにとっても、事務職にとっても、自分自身の生き方を見つめ直す機会になりました。先生によると、「言葉」が織りなす「人間学」についてお話しいただいたのです。
先生のところには、遠方からも患者さんが受診されます。多くの病院を受診しても、問題が解決せず、「何とかしてほしい」と来られます。先生は、そのような患者さんのお話にじっくりと耳を傾け、「何とかできないか?」と考え続けるそうです。「自分が投げだしたら、目の前にいる患者さんは、もうどこへ行っていいのか分からなくなるから…」とおっしゃっていました。講演の中で紹介していただいた症例の患者さんたちは、とても良くなっているという印象を受けました。にも関わらず、先生は「患者さんが望んでいるのは完治ではなく、納得すること」だと言われました。医師の仕事は結果がすべてであると考えられることが多いが、先生は、たとえ完治に至らなくても患者さんが納得することが大切だと、敢えて言われたのだと思います。確かに、今の状況が何故起こっているのか、医師はどのような治療を考えているのか、そして患者として自分は何をすべきなのか、自分自身が当事者として自分の状況を「わかる」ということがいかに大切かということは臨床でよく感じることです。私たち看護師も患者さんの物語に耳を傾け、患者さんが納得して生活できるように支えることが大切だと改めて思いました。
また、「無理して頑張ること」が医療者には必要だというお話もされました。これについては、無理しすぎて潰れてしまう人を何人も見てきた私は、即座に了解できませんでした。しかし、先生との講演後のメール等のやり取りの中で、「少しだけ無理して頑張ること」というところに落ち着きました。目標設定も同じですが、楽にできることではなく、少し頑張らないと達成できないところに目標設定することが成長につながると思うからです。先生によると「少しだけ無理をして自らの限界を高めていくことなしにほんまもんに近づくことはできない」ということです。自分に何ができるのか、唯一無二の存在になれるのか、自分自身の賜物を大切にしながら、今置かれた場所で最善を尽くせるように生きていきたいと思います。
*岸本和裕:「ほんまもん-未来を変えるために私がしていること、きみたちにできること」,健康ジャーナル社,2015.
新カリキュラム完遂の年
平成25年4月に当校の前身である知多市立看護専門学校に副校長として着任し、翌年には公立西知多看護専門学校の校長となり、この4月には5年目を迎えようとしています。新年を迎え、振り返りをしてみたくなりました。
1年目は、SWOT分析をして当校の強み、弱み、機会、脅威を分析しました。その結果、考えた課題がいくつかありました。その中でも、カリキュラムの見直しは非常に大変な作業でした。
2年目にカリキュラムの見直しを行い、平成27年より、新カリキュラムを動かし始めました。そして、いよいよ新カリキュラム完遂の年となったわけです。社会人基礎力と倫理性を兼ね備えた看護師を育成するということをカリキュラムの柱としてきました。今までのカリキュラムによる教育と何が違うのか?というと、カリキュラム構成も時間数も変更しましたが、大きな成果は目指すべき看護師像を教員間で共有したことであると思います。開校当初には、同じ志を持った教員で組織されていたのでしょうが、時間の経過とともにメンバーも入れ替わり、どこを目指すのかといったことについて改めて話し合う機会も少なかったのではないかと想像しています。だからこそ、今回の見直しで『目指すべき看護師像』を共有できたことは、自分たちが行う教育そのものを見直す機会になったと信じています。
看護学生の3年間は非常に濃密な時間です。1年生として入学した時の姿からは想像できないほどの成長を見せてくれます。知多市立看護専門学校の時代からの伝統を受け継ぎつつ、公立西知多看護専門学校の新しい歴史を築いていく卒業生が、十分な力を兼ね備えて旅立つことができるように私達教員は応援していきたいと思います。
看護の対象となる患者さんの代弁者となるため、「前に踏み出す力」「考え抜く力」「チームで働く力」「物事の良し悪しを判断する力」をしっかり養えるように…と願っています。新しい年(酉年)を迎え、新カリキュラム完遂の年として、気持ちを新たに前進し、羽ばたいていきたいと思います。
「看護師としての思い出~Part6~」
久しぶりに看護師としての思い出を書くことにしました。今日も、新人時代に出会って、最後の看取りまでさせていただいた患者さん、Oさんです。Oさんは、強面で身体の様々なところに墨をいれていらっしゃる方でした。糖尿病を患い、頑固で、滅多に笑わない方でした。
最初の出会いは、採血の場面であったと思います。緊張して、訪室すると「一回で刺せよ!」と小さな声ではありましたが、凄味の利いた声で言われました。とてもよく出た血管がありましたが、そこは墨が入っている部位でした。「ここでもいいですか?」と尋ねると、「いいから、とにかく1回でやれよ」と答えられました。
私は、緊張でいっぱいでしたが、1回で成功することができました。すると「お~、よくやったじゃないか。新人にしては」とふっと笑顔を見せてくださいました。私は、その笑顔が忘れられず、Oさんのことを気にするようになりました。風貌と言動のためか、Oさんのことを苦手とする看護師もいましたが、私は全く苦手意識はありませんでした。
Oさんは、家族思いで、いつも家族のことを心配していました。私は、Oさんといろいろな話をするようになり、いつしか、Oさんは私を見つけると自ら声をかけてくれるようになりました。
何度目かの入院のとき、Oさんの状態は非常に悪いものでした。そのとき、私と同期の看護師を枕元に呼び、Oさんは両手で私たちの手を握り、「お前たちは、いい看護師になるぞ。俺はそう信じているからな。」と言ってくださいました。私は、その時の情景を忘れることができません。Oさんが亡くなった後も、時々、ご家族にお会いする機会があり、いつも、Oさんとの思い出を語っていました。辛い時に、Oさんの言葉を思いだし、看護師を続けようと思い直したこともありました。
Oさんは、何故、私や同期の看護師を認めてくださったのか、それは、私たちが偏見を持たずに、他の患者さんと同じように関わったためではないかと思っています。人は誰しも好き嫌いはあるかもしれません。しかし、公平であること、公正であることはとても大切なことであると思っています。
今は、学校に在籍し、多くの学生と関わりますが、そこでも「公平であること」は常に心掛けるようにしています。そして、時には対応に差が出ることもあります。それは、「公平であること」よりも「公正であること」が優先した場合であるように…と思っています。
「学生、卒業生の成長」
昨年の3月のこの校長談話では、愛校作業の様子について書いていました。実は、そのこと自体を忘れていたのですが、今年も卒業生と一緒に愛校作業をしていた時に、「先生!先生の校長談話、読んでいます。依頼されたこと以上の仕事をするんですよね!!」という学生がいました。それで、思い出したわけです。今年の卒業生は、まさに率先して、「依頼されたこと以上の仕事」をしてくれました。それも嫌な顔もせず、実に楽しそうに笑顔いっぱいの時間を過ごしていました。この学校で過ごす時間、クラスメイトと過ごす時間を愛おしむかのような様子で、私も一緒に作業しながら楽しく、そして嬉しく思いました。
当校には、授業時間外でこのような愛校作業や物品点検、図書の総冊数点検、掃除などの時間が設けられています。中には、「授業ではないですよね」という学生もいますが、そこで何を学んでほしいと思っているのかを感じ取ってほしいと思います。授業や実習で学ぶことは大切です。しかし、それ以外の活動も非常に重要な意味をもっています。それは、まさに当校の教育の柱としている社会人基礎力を育てることだと思っています。自ら取り組む「主体性」、クラスメイトを巻き込む「働きかけ力」、どこまで行うのか目的を設定して実行する「実行力」を要素とする『前に踏み出す力』、どうしたら作業がスムースに行えるのか、何が問題なのか現状分析する「課題発見力」、どのように計画したら良いのか考える「計画力」、もっと良くするためにはどうしたらよいのか考える「創造力」を要素とする『考え抜く力』、そして何より、『チームで働く力』を育んでいただきたいのです。
ここのところ、卒業生が学校へ来てくれます。仕事で行き詰った人もいれば、国家試験の激励に来てくれる人もいます。働き出して語るその姿は、頼もしい限りです。卒業生が気軽に来て、話ができる学校であることが私の目指す学校の姿であるので、本当に嬉しく思っています。
卒業生の様子、3年生の様子、その成長ぶりを、感慨深く見ています。3年間で、こんなに成長するのだと…そして働くことでこんなに大人になるのだと…教員として関わらせていただくことに感謝しつつ…。